何年連絡が無くても、友人は友人で、
でも、いざ亡くなってみるとそれを伝える連絡先が不明で、
ばったばた調べて実家の電話見つけて、
電話して携帯に連絡。
留守電に伝言録音してた。
さんまはとても人付き合いが狭いと思う。
何年も会ってない人もいる。
でも、何年後でも何年前と同じ顔で話せると思う。
そういうのが友人なんだろうなって改めて思った。
父の友達も色々だ。
病気してたり、
出世してたり、編集長だったり、
子どもがまだ学生だったり、孫がいたり。
倍の人生経験は侮れない。
実際さんまと同じ年でも、
さんまと同じ境遇の人間なんて一人もいないわけで、
似たような職業の友人だって少ないってか、いない気がする。
同じ学校で似たようなこと勉強しても、
思ってることも秘めてるものもてんでバラバラ。
道は違えて当然で必然。
「またね」
っていつまでも言える人付き合いがしたい。
誰かと一緒なんて億劫でメンドクサイって一日の大半思ってるけど、
『友人』だと思う人と話すとき合う時メールする時は、幸せなのだ。
誰か死んじゃったら哀しいだろうなあ。
自分が死ぬのとか結構どーでもいいけど、
周りの人が死んじゃうのは嫌だなあ。
泣くとかそういう次元の問題じゃなくなる気がする。
だからきっと人付き合いが面倒なんだ。