2011年02月13日

思うところありまして、

結局本能寺を真面目に見なかったのは、
その時丁度信長な本を読んでいたからです。


最近思うのは、
結局文章が一番満腹中枢に刺激を与えてくれるのではないか、
ということ。


映像も、誰かの創作で、
漫画も、誰かの創作、
もちろん、小説も誰かの創作、なんだけど、
絵がない分、自分の都合の良い具合に妄想する。
文字にされていない部分でも、されている部分でも、
いくらでも妄想できる、という具合で。
そんなもん、個人の好みだと思うけど、
さんまは文章だなあって思った。

だからまあ、
色々茶碗が割れるとか、縁の品々が割れてみているとか、虫の知らせオンパレード、
なんて映像よか、
本能寺がぼわっと炎に包まれた中で、
きっとああした、こうした、
多分それじゃない、抜け穴が云々。なんて、
文章にそう書いてあっても、さんまにとっては映像より押し付けがましくない。
文字は映像より優しい。
そんな気がするんです。
だから、一時より映像に対する興味が薄くなってしまった。
歴史モノ限定で。


史実がどーとか、
何がどーとか、
大河に対して、同じような文句合戦が毎年起こるのですが、
大河の制作サイトは果たして、史実を求めているのか。
史実を元にした、エンターテイメントを制作しようとしているのなら、
史実じゃなくてもいいわけで、
「実在の人物名が登場しますが、一切関係ありません」的な。
そういうテロップを入れればいい。
実際に存在した人を使って、面白可笑しい話を創作するなら、
それが誠意で礼儀じゃないかな。

誰かが観たわけじゃない。
証拠映像があるわけじゃない。
でも、何をしていいってわけでもないよなあ。
最近まで日本史さっぱりぷーだったので、
「矛盾点」に気が付きもしなかったんですが、
「そういえば、あれ??」
みたいな出来事に思い出してぶつかったりする。

歴史資料だって、書いた人の主観やら願望やら組み込まれてるかもだし、
いろんなモノを検討して検討して導き出した「真の歴史」とやらが、
実は創作でしたー☆なんて話はあるわけで、
でも、
大河が実在にあったことに対して忠実に忠実に、と話を進めるなら、
もっと歴史の知識豊富な人が物語を作らねばならない。
歴史の知識豊富っていうのは、
794ウグイス平城京、って知識があるってことだけじゃなくって、
全部、文化とか会話とか、そらもう全部、
そういうの精通してなきゃ駄目になっちゃう。
でも、そんな人間都合よくいるかな。
歴史の背景にある文化には、言葉があって、言葉は台詞になる。
果たして脚本家が、そこまで考えるかな。
考えていたとしても、現代社会の視聴者に向けて、
果たして史実どおり、なんて脚本を書いたところで、視聴率に繋がるのか。
国営放送だからまあ、視聴率うんぬんって話は嫌だけど。
大体「家族の絆」だとか「愛情」だとか、
そういう、通常のドラマみたいなお題目で、歴史モノなんて制覇できるわけないじゃない。
現代人の感覚と違うんだから。
同じ人間だから、そりゃ根底は一緒だけど、
好きなったから結婚、でもないし
生まれに関係なく、どんな職業でも夢に向かって走る、なんてコトはないし、
生まれた時から色々決まってたりする歴史で、
愛だの、恋だの、デリケートにスキしてだの←(1:00あたりからアレルヤ様代弁)
そんな、
製作者サイド曰く、現代人の価値観に共感する部分、を重要視した脚本で、
史実をぴったりくっつけられる訳がない。
好みの問題でしかないけど、「共感」なんていらない。
「歴史」に「共感」なんていらない。
「憧れ」がそこにあれば、いい。ってさんまは思う。
だって、同じ時代を生きた人じゃないもの、対象が。
共感したところでどーなの。
人間として持ち合わせた感情が同じでも、思想が違う。
「感情が同じなら、理解できるはず」
っていうなら
「感情を押し殺しても、理性で生きる」
ことをするのも人間ってことだと思う。
ネットの検索でちょちょい、と世界を知った気になってる現代人と、
科学より前に、もっとたくさんのことを信じていて歴史上の何某を、
「絆」だ「愛情」だなんて現代人が好きな曖昧な言葉で、
その人物の歴史の物語が纏められるとは思えない。
そういうのじゃなくて、
もう素直に主人公の歴史を物語にすればいいんじゃないのかな。
だって、その人物の一生が面白いから主人公に選んだわけで、
その人物を誠実に追えば、そんな曖昧なモノは自然とついてくるっしょ。
無理やり作らなくたって、
「なんて面白い人なんだろう」って、
ちょっとした逸話だけでも、そういうの感じるじゃん。
無理やり面白可笑しい展開を、舞台となる時代に不自然な設定で組み込むのは、
未来でつじつま合わせれば、みたいな展開は、
その時代に生きた人間には分かりえぬことで
そういうのが、説明できない気持ち悪さ、に繋がっちゃうのでは。

そんなコト言うならお前が書けよ馬鹿っ。
って言われたら無理だけど。
もう、対岸の火事に対しては幾らでも言えるって感じで、
そんなかんじ。
だって、最近スキな時代なんだもん。
別に興味がなかったらどーでもいい、って文句もないけど、
なんかほら、
その辺りの歴史好きだなーってところで、
「ああ、ううっ! ええ、なんか違うくない??」
とかいう、
ものすっごい個人的な感情が浮き沈みしちゃうの。
完全に自分の中で妄想が出来上がってるのならそんなことも思わないんだろうけど、
中途半端な自分の知識と妄想だからこそ、
「戦場で赤ん坊の声が聞こえるかっ!!」
とか思ったりしちゃうんです。
いやでも、
脚本家も魂削って書いてるんだろうし、
色々考えがあるんだろうけど、
時代考証担当はどんな心境なんだろうなあ、とか思ったりしたんです。


見てる人間の比率は
「楽しいものを求める」と「史実に忠実」
どっちが多いのか。
「史実に忠実で楽しい」が理想的だけど、
現代人の目を通すことで、もうにっちもさっちも行かなくなるんじゃないかな。
よっぽどの人物を主人公にしなきゃ、
「史実に忠実で楽しい」モノなんて無理じゃないのか。


時代小説を書くときに
「その裏づけは」「その根拠は」と、聞かれるらしい。
好き勝手なことは出来ないのです。
現代を舞台にした創作物には
「物語上に登場する地名・人名は全て創作…」
みたいなテロップが入るけど、大河ドラマでそういうテロップ見たことない。
もしかして、見たことないだけかな。
実はあるのかな。
それなら、いいんだけど。
視聴率の高い番組、そして映像が脳味噌に直接ぶちこまれるというのは、
ものすごい影響力のあることで、
某超有名大河で主人公の敵方に回った某人物の評判がすこぶる悪い、というのは
よく聞く話。

仕方ない。
だって実際に観てないんだもん。
だから、もう、仕方ない。
さんまもそう思う。
実際その人、すっごい性悪だったかもしんないし、
鮭の話でほんわかしてる場合じゃないかもしれないし、
でも、もしかしたら、どんでもなく良いお殿様だったんじゃない??
そういう疑念も残る。
でも、ドラマだしねえ、実際には誰も知らないしねえ。
っていえるのは、視聴者サイトだけ。
公共電波というものが、歴史を銘打って、
実際に登場した人物をネタにするのなら、
現在分かっている歴史に対して、誠実で、裏づけのあるモノにしなきゃいけない。
肝心なところは想像するしかない、なんてことは分かってる。
でも、想像ばっかりすればいいってコトでもない。
視聴者側の要求、というのはあるにしても、
娯楽性ばかりを追ってしまうのは、脚本家の怠慢でしかないわけで、
歴史を気にしないならふつーの連続ドラマでいいじゃない。
歴史上の人物の名前なんて使わずに、
「あれ?もしかしてこれ、あの人のオマージュ??」
みたなモノにしてしまいえばいいわけで。
「〇〇時代の〇〇を主人公にします!!」って宣言するなら、
やっぱり、
「史実に忠実、で面白い!!!」じゃないと困る。


不特定多数が見る、と大前提のあるテレビなんてツールで、
時代考証担当の人がサジを投げるような脚本じゃ、
どーしよーもない。
来年は見ようと、去年から思っているので、期待してるんですが、
さじ投げずに頑張って、時代考証担当の先生!!!
posted by さんま at 00:44| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | さんまのハラワタ。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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